担当:岩間


養蚕、蚕棚を残す家、生糸製造




山仕事と畑仕事で生計を立てていた農家にとって、炭焼きとともに養蚕は貴重な現金収入源でした。
そのため養蚕農家の家は、一階はもちろん二階、三階を全て蚕室にあてて家中で蚕を飼っていました。
養蚕が盛んだったのは昭和三十年頃まででしたが、道志村では、現在でも蚕棚の跡を残す家がたくさんあります。春蚕、夏蚕、秋蚕と年三回蚕を飼っていました。
桑の木を植え春先、芽がのびる頃蚕室を準備し、蚕のこどもを育てる時期によっては保温が必要で火を焚いて保温しながら飼育をしていました。


蚕は人がお世話しないと生きられません。桑の葉を食べて絹のもとになる繭を作ります。蚕は他の虫と違って「1頭」と数えます。
幼虫の時は「しゅく」という小さく仕切られた器にいれられます。これはなにもしないでおくと自力では繭を作れないからです。
しきりにそって糸を吐いて繭を作り蛹になります。
蛹から成虫になる時は、繭の端を溶かして脱出するため糸が切られてしまうため、絹糸を採るためには蛹のうちに繭を煮て取り出します。
繭は普通一匹の幼虫で作られますがまれに二匹の幼虫で作られることがあります。これを玉繭といいます。
玉繭からは糸は取り出せず、真綿として布団を作るのに利用されました。


しゅく

                                 


しゅくに入った繭

 



道志では、「おしら」と呼ばれた蚕が繭をつくることを営繭といい、位置をきめて落ち着いた蚕は、糸を吐き出し、2~3日で繭を作ります。
1個の繭から約1000~1200mもの糸がとれ、これを数本撚った糸を生糸といいます。
生糸を灰汁などで精錬して光沢のでた絹糸を錬糸と呼び、これを織り機で織って、やっと絹織物ができあがります。


織り機と絹織物






養蚕農家では、蚕に感謝してお正月に繭を笹にさして、繭玉飾りの行事が行われてきました。
現在では紅白の団子をダンゴバラの枝にさして、五穀豊穣、商売繁昌を願う小正月の縁起物として飾られます。


繭玉飾りの様子